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2013年4月 1日 (月)

ベジャールバレエ日本公演2013

数年に一度のお楽しみ、ベジャールバレエローザンヌの来日公演でございます。
毎回関西にも来てくれるのですっかり油断していたら、今回は東京のみ。つらい。

しかし演目がベジャールさんの代表作「ボレロ」ですよ。
、、、実は、長らくベジャールバレエのファンをやっていながら、
ボレロはテレビで一度観ただけなのです。
その時はメロディをシルヴィ・ギエムが踊っていて、観ている間ずっと鳥肌が立ってました。
20分程の作品ですが、ほとんど瞬きもできないぐらいに釘付けでした。
なんだかわからないけど涙が出たり。

なので、これはなにがなんでもナマで観たい、、、!!
ということで、土日(3月2日・3日)の公演のチケットを取ることに。

チケットを取る時のテンションが少々おかしかったせいで、
分不相応にも2日とも一番お高い席を買ってしまったわたくし、、、
公演当日、東京に向かう新幹線の車内であらためてチケットを見つめながら
あのときの自分よ、もうちょっと落ち着きたまえ、、、とか言ったところで後の祭りです。
まぁいいか。

(2日間とも、ツイッターで仲良くなったお友達に遊んでもらって、
それもとても楽しかったのですけれどそこはまた別に書くかもしれないし、
書かないままやったらほんますんません、、、)

さて、3月2日(土)の座席は2列目左寄りです。
2列目すごい。めっちゃ見える。どうしよ。あっ、でも前の人の頭がちょっと邪魔、、、
段差無いからなぁ。

そして、3月3日(日)の座席は最前列右寄りです。
最前列すごい。めっちゃ見える。どうしよ。舞台まで障害物なんも無い。これはヤバイ。

ちなみに演目は2日とも「ディオニソス組曲」「シンコペ」「ボレロ」の3作品です。

まずは「ディオニソス組曲」。
ああ、ベジャールさんの振付やなぁ、って安心できる作品です。好き。
見どころはなんといっても終盤の男性陣のパート。観ていて気持ち良くなる踊りっぷり。
ディオニソスを踊ったオスカー・シャコンもとても良かったけれど、
那須野圭右さんの踊りが特に目を引いた。
昔は小林十市さんと似た感じの踊りだなぁと思っていたのだけど、
明らかに違ってきたと思う 。
那須野さんの今後がとても楽しみ。

そして「シンコペ」。
これはベジャールさんではなく、現在のベジャールバレエローザンヌ芸術監督、
ジル・ロマンの振付。
、、、わたくし『ダンサーであるところのジル・ロマン』は大好きです。
今まで見た数少ないダンサーの中でこの人の踊りが一番大好きです。
しかし、『振付家であるところのジル・ロマン』は正直まだよくわかりません。
すっきりして見やすい作品だったとは思います。意図もよくわかる。
でも、それが「良い」のかどうかよくわからない。他の振付作品も観てみたいです。

で。
いよいよ「ボレロ」。
今回は、2日はジュリアン・ファブロー、3日はエリザベット・ロスがメロディを踊りました。
お二人とも素晴らしかったけれど、個人的にはエリザベット・ロスの方が好きだなぁ。

ところで、テレビで観た時はほとんどメロディしか観れてなかったのだけど、
最前列だの2列目だので観ているとリズムもめっちゃじっくり観れるのだけど、
これがすごい。
音がね、何層にも重なっているのが目で見れるのです。
メロディとリズムの踊りによって、本来は形の無い「音楽」が目の前に現れるのですよ。
もう魔法ですよ。
こんなことができるのはベジャールさんしかいない。
あらためてベジャールさんの凄さを思い知りつつ、
新しい作品はもう観られないんだなぁと悲しい気持ちになるのです。

いや、しかし、最前列で観るというのは初めてだったのですが、良かった。
真ん中あたりから全体を観るのが一番観やすいとは思うけども、最前列も良いです。
並々ならぬ臨場感。
チケットを取った時のテンションおかしかった自分を褒めておこう。

またなるべく早く来日してくれますように。
あと、できたら関西でも公演してください、、、

2012年2月29日 (水)

がれきの広域処理のこと

このところ、ツイッターの私のTLではこのことがよく話題に上っております。
私がフォローしてる方は大半が広域処理に賛成です。
でも、読んでいてもどうもしっくりこないので、どうしてかなぁと考えて
みました。

そもそも被災地を助けたいと思わない人なんて誰一人いないと思うのです。
震災直後から今でも募金したり援助物資を送ったりボランティアに行ったり、
直接そういう行動ができる状況にない人は、行方不明の方の手がかり一つでも
見つかるように願ったりしていますよね。
がれきについても「『不安が無いのなら』受け入れたい。復興を進める手助け
をしたい」と思っている人が殆どだと思うのですよ。
そして、そういう人が抱く『不安』の多くは「政府や東電を信頼できない」
ことにあると思うのですよ。

2月16日、静岡県島田市で岩手県の被災がれきの試験焼却が行われました。
試験焼却の様子を子細に公開して、不安を持つ人がご自身で焼却前と焼却後の
数値を測れるようにするというこの方法は、私は良かったと思っています。
20日には焼却後の灰も一般公開して誰でも測れるようにしています。
この方法は自治体にとって大変な手間であり負担であるとは思いますが、
実際、焼却処理に不安を持っている方がご自分で線量を測ってみて、
「自分で放射線の空間線量率を計測して、がれきは安全だとようやく実感
できた。被災者の気持ちを考えると、この結果なら受け入れてもいいと率直に
思った」と感想を述べておられます。
(それでもやはり受け入れたくないと仰る方がいることもまた事実ですが。)

こことても大事なところだと思うのですが、
広域処理の対象になるがれきに原発由来の放射性物質は含まれていない
ということを、政府が最初にしっかり広報するべきだったと思います。
なんだったら今からでも。
ものはついでなので、ここでもお知らせしておきますね。
環境省広域処理情報サイト
でも『不安』を抱えてる方々に対して今やそれだけでは駄目だと思うのです。
信頼していない相手がいくら「大丈夫ですよ」と言ったところで、
「そうですね」とスルリと受け入れられる訳がないですよね。

話を最初に戻しますね。
広域処理に賛成の方々のツイートを読んでいてどうにもしっくりこないのは、
関係記事を紹介したり、そのことについて意見を述べておられるツイートで、
不安でがれきを受け入れたくないと思っている方々に対して、
「自分が住んでいる地域で大量にがれきが発生したらどうするのか」とか、
「ちゃんと調べればわかるのに」とか、少々攻撃的だったり呆れた感じの
コメントが、自分の観測範囲内だけでも割と多くあったからだと思うのです。
不安だと思っている方々がそういうコメントを目にしたらどう思うでしょう。
余計に反発を招くだけじゃないですか?

「そこまでしないとわからないのか」ではなく
「そこまですればわかってくれるんだ」と考えれば、
受け入れを検討している全ての自治体でそこまでできれば、
自分達の目で実際に見て危なくないということを実感してもらえれば、
がれきの受け入れも少しは順調に進むのではないかと思うのです。

、、、と、ここまで書いて1週間ほど放置していたところ、本日、
島田市の試験焼却の結果を受けて静岡市でも試験焼却を行うという記事が
出ました。
本当に良かったです。後に続く自治体が多いことを切に願います。

2012年1月 9日 (月)

山中伸弥先生と益川敏英先生の対談

(これ、カテゴリ「学問・資格」でいいのかしら、、、まぁいいか。)

先日、京都産業大学へ行って先生方のお話を聴いてまいりました。

 京都産業大学 益川塾 第2回シンポジウム「科学と社会」
  対談 京都大学 iPS細胞研究所長 山中伸弥先生
      京都産業大学 益川塾塾頭 益川敏英先生

京都へ行くのは久しぶりです。ちゃんと早起きして余裕を持って、、、と思っていたのに、前日夜中(というか当日早朝)に激しい腹痛に見舞われて寝直したりしていたら、すっかり寝坊してしまいました。しかも、京都産業大学がこれまた思ったより遠くてですね、、、日ごろ本数の少ないバスを増便してくれていたのですが遅れてくるような奴にはそうそう甘くもなく、結局バス停で30分待つ羽目に。さむいよ、京都、、、

そんなこんなでようやく到着。13時半開演のところ、会場に着いたらすでに14時半です。
このシンポジウム、第1部と第2部に分かれておりまして、第1部は京都産業大学附属高等学校の学生さんたちのサイエンスレポートで、それは全然見れませんでした。ごめんね、学生さん、、、ちなみにテーマは「セミの分布・種構成・羽化変動と解明したクマゼミ生活史」でした。

さて、第2部。
この対談を聴きに行こうと思ったのは、テーマである「科学と社会」に興味があったというのもありますが、ものすごくぶっちゃけて言うと、山中先生と益川先生をナマで見たい!!というのがそもそもの動機でした。はい、不純でございます。でも、ノーベル賞をとった方をナマで見れる機会なんてそうそう無いですから。そして、もうお一方があの「iPS細胞の山中先生」ですから。

まず最初に、お二人が科学者を志すようになるまでの経緯を話してくださいました。

山中先生は、柔道の授業で骨折すること10回、その都度整形外科でお世話になったのをきっかけにお医者さまを志したそうです。で、もちろん整形外科を目指されたのですが、いかんせん不器用でいらしたことと(笑)、医者でも治せない病気はあること、それならば医学研究で患者を救いたいとのお気持ちから研究者として歩むことになったそうです。ちなみに先生は神戸大学卒なのですが、なぜ神戸大学なのかというと「神戸」の街に憧れていたからだそうです。神戸市民としては光栄ですが、意外とミーハーですね(笑)。

益川先生は、英語は苦手だから人文系は無いわー、じゃあ自然科学系かー、名古屋大学で面白そうな研究してるみたいだからちょっと見にいこうかなー、みたいな感じで進学されたそうです。いいのか、そんなんで。ていうか、それでアッサリ名古屋大学とか受かっちゃうんだ、、、英語の回答白紙でも受かっちゃうんだ、、、(有名なお話かもしれませんが、本当に白紙で出したそうです。先生チャレンジャーすぎる。)

次に、お父さまから受けた影響について、それぞれ少しお話ししてくださいました。
ていうか、ここまでで時間半分ぐらい使ってます。本題に入るのはいつだ(笑)。

第1部で高校生の発表があったので会場に学生さんも多かったことからか、若い方たちへのアドバイスのようなことも。
山中先生は、実験というのはほぼ失敗ばかりだけど、失敗による予想外の結果も楽しめる(興味を持てる)ことが大事であり、その理由を考えることが発見に繋がると仰いました。また、益川先生は、自説にさえも疑いを持つこと、そして自説の欠点を見つけてつぶしていくことが必要だ、と。

さて、やっとこさ本題です。お二人にとって科学とはどういうものか。

益川先生「20世紀は物理の世紀だった。21世紀はそれをベースに発展させていく世紀。科学とは、ヒトが自由を獲得するための道具である。」

山中先生「真理を覆っているたくさんの薄いベールを一枚一枚剥がしていく作業。脚光を浴びるのは最後の一枚を剥がした人だけれど、それまでのどの一枚も、全てが等しく重要。」

最後に大事なお話です。科学と社会とのかかわり。

益川先生「科学は、善でも悪でもない。それを人間がどう使うかということ。また、一見なんの役にも立たないような基礎研究でも、その研究を行うための技術は社会に還元されている。」

山中先生「科学者から社会に発信するということはとても難しいこと。研究の細かな内容まで話しても誰も理解できないし、かといって簡略化しすぎても却って意味がわからない。過大にでも過小にでもなく『正しく』伝えることができれば、科学を知らない人もちゃんと理解できるはず。しかしそれを科学者が行うのは本当に難しい。サイエンスコミュニケーターが制度として確立されなければいけない。」

少々時間を超過しましたが、お二方とも本当に為になるお話を聴かせてくださいました。また、最後にコーディネーターの永田和宏先生(京都産業大学 総合生命科学部長)が、今日の話の内容よりも今日こうして会場に来たことを覚えておいてほしい、と仰っていました。きっかけは何であれ、まずは興味を持つことが大事だということだと思います。興味が無いことを詳しく知ろうとは思わないですもんね。

帰り道、出町柳でバスを降りたらもうすっかり夕方です。空も暗くなり始めています。
せっかく京都に行くのなら、と目星をつけていた喫茶店が寺町通にあるはずなので、出町柳駅から西に寺町通に移動し、てくてくと南下することに。すると、ちょうど京都御苑の真裏を通るのですけども、これがまた鬱蒼として暗くて怖いのなんのって。街灯もとっても少なくて、寺町通ってこんなだっけ、、、やだよーこわいよー、と半泣き+ものっすごい急ぎ足で、ようやく賑わいのある京都市役所辺りへ辿り着きました。ふぅ。いや、マジで怖かった、、、

ホットケーキがとっても美味しそうな目的の喫茶店に着いた時にはあまりにもおなかが空きすぎていて、たいして味わうでもなくさくさくと平らげてしまいましたが、ホットケーキもコーヒーも美味しかったです。多分。

こういうシンポジウムを聴きに行くのも、それをこうやってお伝えする文章を書くのも全く初めてなので、せっかく良いお話だったのに大変ヘボいリポートで本当にすみません、、、

ちゃんとしたのが2月4日に読売新聞に掲載されますので、是非そちらをお読みになることをお勧めいたします。

2011年11月17日 (木)

読書感想文。『もうダマされないための「科学」講義』

光文社新書『もうダマされないための「科学」講義』をだいたい読み終えました。

科学の「か」の字も知らないようなド素人のくせに何故そのような専門的な本を読むことになったのかというと、ツイッターで仲良くしていただいてる方に科学がご専門の方が多く、ぶっちゃけいつもお話についていけてない私でも「本を読むぐらいならできるかも!!」と無駄に張り切っちゃいまして。

”専門的な”と書きましたが、タイトルを見ると「ダマされた」り「ダマされそう」だったりするような素人向けの本だろうと思いまして(思いますよね?)、新書なので800円もしないですし(本にかけるお金はケチらないタイプです)購入して、読み始めたわけですが。

あ、ちなみにコレ書評的なものでは全くありませんので。ただの感想文です。

さて、本書。
全部で4章+付録という構成で、章ごとに別の方が執筆しておられます。

1章は「科学と科学でないもの」。科学ってそもそもなんなのよ、というお話が素人にもとても解り易く書かれています。

2章は「科学の拡大と科学哲学の使い道」。1章をより深くしたようなお話ですが、ここはかなり(自分比)難しいです。専門用語がバンバン出てきます。

3章は「報道はどのように科学をゆがめるのか」。実際にあった事例を取り上げて、報道と科学の関係を書かれています。こちらも読みやすい。

4章は「3.11以降の科学技術コミュニケーションの課題」えーと、すみません。途中で諦めました。ごめんなさい。内容は私のようなド素人と科学を繋ぐ方法について、みたいな。(なんせ途中で諦めたので、あまりわかってない。)

付録は「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」。原発事故以降、雨後のタケノコの如く現れている、それホント?な情報の数々を拾い上げて、これは違うよ、それも違うよ、と丁寧に解説してくださっています。

さてさて。そんな内容の本書ですが、一つどうしても気になるところがありまして。

この本、もちろん先の原発事故を受けて出版されているわけですが、表紙を見てもそのような言葉が一切無いのです。売る気満々で表紙に怖い言葉を並べてる本もそれはそれで鬱陶しいですが、そういう言葉が全然無いと売る気云々以前に気付かれません。いくつかの書店でどういう風に陳列されてるか見てきましたが、大型書店では必ず棚が作られている「震災・原発関係」的なところには並んでおらず、フツーに新書の新刊として並んでいるだけでした。多分、書店員さんもこの表紙ではその棚に並べないでしょう。私はそういう主旨の本だと知っていたので探して見つけられましたが、放射能こわいわー、よくわかんないし色々知りたいわー、と思う科学素人さんが手に取ることはまず無さそうです。念のため、科学素人度ではどっこいどっこいの友人にも表紙を見せてみましたが、そういう本だとは思えない、と申しておりました。

『もうダマされないための「科学」講義』ですよね?科学素人さんに読ませたいわけですよね?

だったらこれではだめなのではないかしらと。正直、科学素人には難しい箇所も多いですが、頑張って読めば絶対役に立つ本なのに本当に勿体無いです。

ちなみに、「震災・原発関係」の棚には”売る気満々で表紙に怖い言葉を並べてる本”ばかりが並んでいたことをお伝えして終わりたいと思います。

、、、読み返すと書評どころか読書感想文でさえなくてすみません、、、

2011年10月13日 (木)

小説の映画化

先日、テレビで『インシテミル』という映画を見ました。
前に小説を読んでいて話の筋はわかっていたし、小説を映画化したものにあまりいい印象が無いので公開時には特に見たいと思わなかったのですが、せっかくタダで(セコい、、、)見れるんだったら見よ~♪と思って見始めたわけです。

あ!
このあとだいぶネタばれですので、それは困るという方はお読みにならないように!!


とある実験の被験者として、時給11万2千円、期間は7日間という破格の超高額短期バイトに参加することになった10人ぐらいの男女。リムジンに乗って向かった先にはコンクリート打ちっぱなしの円形の建物。

一同はまず惨劇の始まりであるダイニングルームへ、、、原作ではもっと古めかしい内装だったと思うのですが、やけに近未来的です。雰囲気出ないなぁ、、、まぁいいか。

食事を摂りながら実験内容がアナウンスされます。実験期間中にしてはいけないことは”22時以降に自室を出ること”だけ。そして”実験終了前でも人数が2名になったら終了です”という不吉極まりないお知らせにざわつく面々。それはそうでしょう。何人かは死ぬかもってことですから。

とりあえず、7日間だけなんだから仲良くやれば大丈夫だよ、とそれぞれ自室へ向かいます。室内の様子がこれまたやけに近未来的。原作ではもっと(以下略)、、、まぁそれはもういいんです。いいんですけど、、、

、、、室内には武器が置いてあるのですけどね、この武器が入っている箱が、何というか「RPGの宝箱」的な箱なのですよ、、、しかもちゃちい、、、溢れる脱力感。なにコレ?どうせなら近未来的な感じで統一していこうよ、、、

いや、そんなことは瑣末なことです。大したことではないのです。

さくさく話を進めますが、何事もなく1日目が過ぎて翌朝、1人の参加者が死体となって発見されます。恐れおののく参加者たち。みんな各々が武器を持っていることも知っています。そして、それが何かは本人しか知りません。教えもしません(だって相手の方が強い武器だと怖いでしょう?)。みんなが疑心暗鬼になって過ごす2日目。やがて夜が訪れる、、、

ここからです。

自室の床は足音も分からないような毛足の長い絨毯敷き、ドアには鍵は付いておらず、開け閉めの音もしないようなスライド式。部屋は防音が施されていて外の音は一切聞こえない。つまり、”参加者たちはこのとき初めて、殺人者とひとつ屋根の下で、うかうか眠っていたらいつ誰に侵入されて殺されてもおかしくない状況で、実験が終わるまでの夜の時間を過ごさなければならないのだということに気付く”のです。この恐怖感!!これをもっと全力で再現してほしかったのに、、、

実際、原作でもこの部分がこの物語全体のターニングポイントでした。この夜の恐怖感がきっかけとなって物語が動くのです。このあと、このままではみんな怖くて眠れないということで翌日から夜中に2人1組で交代で巡回するのですが、肝心の恐怖感がきちんと描かれていなかったので、映画ではあまり巡回の必要性を感じませんでした。

小説だと台詞には現れない心情も、現実ではない想像上の情景も、いくらでも言葉で表現できるけれど映像だとそうはいかない。それは解っているのですが、だからこそ映像だけで”感情そのもの”をどこまで表現できるかが映像作品を作るというお仕事の真骨頂なのではないかしらと思うのです。

まぁでも小説を映画化しようとすると、小説内でどんなに時間が経とうが現実にはせいぜい2時間ぐらいに収めなきゃいけないわけで、端折れるところは端折らな くちゃいけないわけで、尚且つ印象的な部分も作らなきゃいけないわけで、、、と、何かと大変なんだろうなぁとは思いますが。

、、、ちなみに、そのあとはあまり熱心に見なかったのですが、最終的には生き残る人数も、それどころか生き残るメンバーも小説とは変わってしまっていて、原作者の方はこれでいいんだろうか、とちょっと心配してしまいました。

2011年10月 9日 (日)

日帰り奈良旅行

お友達と奈良へ行ってきました。

1週間ほど前、漠然と「3連休だし、どこか行きたいねぇ」と言ったきり、何の計画も立てずにそのまま日は過ぎてゆき、、、前日にようやく「明日どうしよ~」みたいなのんきな私達。
「奈良は?『鹿の角きり』ってのやってるよ」「そやね~」ぐらいの適当さで予定が決まる。とにかくのんきな私達。

さてさて、当日。
10時過ぎに大阪駅で待ち合わせて、大和路快速に乗って一路奈良へ。
、、、着いたはいいけど、奈良駅ってこんなだっけ?と、ちょっと狐につままれたような気持ち。よく考えたらJRで奈良に行くのは初めてだったかもしれない。今まで近鉄でしか行ったことがなかったのか、わたし。

早速、目的地である春日大社へ。おぉ、そこかしこに鹿が、、、そしてフンが。これはあれだ、動物園のにおい。
そして角きりの会場へてくてくと向かう私達、、、んん?なにやら行列ができている。もしかしてすごいメジャーな行事なの?角きり。通りかかった警備員さんに、今並んだらいつ見れるんですかと訊いてみると、1時ですとのこと。只今12時過ぎでございます。おなかも空いている。看板に『1回目は大変混みます』とあったので、とりあえず先にゴハンにすることに。
行列を後にして、一番近くにある茶店へ。何につけても楽な方へと流れる私達です。

茶店は、フツーに和風の佇まいなのに何故かアンニュイなフレンチポップスが流れ、店員さんはカフェの人かというような小洒落たお兄さん。ミスマッチ感あふれる店内でうどんを頼んで待つことしばし。出てきたうどんは、、、出汁が黄色い。これまでの人生でうどんを食べた回数は数え切れないけれど、出汁が黄色いうどんは生まれて初めてです。味は普通だったから、まぁいいか。ちなみにお友達も出汁の黄色さが気になっていた模様。一体何の色だったのか、、、

さて、今度こそ角きりへ。
今度は行列の「ぎ」の字も無く、さくさく入場。入るとそこは柵で囲まれた楕円形の芝生の広場。楕円形の長い方の片側半分に立ち見オンリーの観客席。1時の回の終盤だったようで、一段落したら観客がぞろぞろと退出。その合間を縫って一番前へ。
1時半の回、開始。
どこからともなく立派な角を持った牡鹿が3頭現れて、所在無げにうろうろうろうろ、、、そこへバーンと現れる鹿追いのお兄さんたちが10名(もっと居たかも)ほど、と、烏帽子に直衣の神官。

で、ほんとにいきなり始まります。鹿追いのお兄さんたちが鹿を追いたてつつ端に誘導し、3頭は並んで猛ダッシュで逃げる!(鹿が走る様子は陸上のトラック競技を想像していただくとわかりやすいです。)ちょうど観客席の正面で、3~4人の鹿追いの方が逃げる鹿の角に投げ縄の要領で縄をひゅっと投げて引っ掛け、、、ようとするのだけど、これがなかなか引っ掛からず。そらもう、鹿だって必死です。訳もわからず追い立てられて、捕らえようとする人々。きっと、「なんでおれらこんな目に遭ってんの?」と思っているのでしょう。毎年実施されているけど、毎年思っているのでしょう。かわいそうに、、、
何度目かのチャレンジの末、1頭が捕まって押さえつけられ、神官が糸鋸でギーコギーコと角を切ります。無事左右とも切り終わると鹿は解放されて、ご機嫌ナナメな様子で広場を後にします。

その調子で2頭目、3頭目の鹿も角を切られて終了~。ちなみにこの間ずっと、おじいちゃんがマイクで実況中継をしているのですが、おじいちゃんの語り口調が面白すぎてすっかりツボにはまってしまいました。今後見に行く方は是非そちらもお聞き逃しの無いように。

角きりを満喫した私達、まだまだ時間も早いので大仏さんを見に東大寺へ。
チケットを買って門をくぐると、大仏殿の大きさに圧倒されます。でも落ち着く。奈良は景色が横長(建物が密集してない。高い建物があまり無い。)なところがいいですね。
修学旅行生や団体さんに便乗して解説を聞きつつ、流れるように見学終了(早)。まぁ関西人ですから東大寺へは何度も来ていますので、これぐらいで充分です。

楽しかったねぇと話しつつ、人の少ない脇道を通っててくてくと駅へ向かう途中、、、うっかり見つけてしまったのです。いかにもコーヒーが自慢です的な喫茶店の看板を、、、

住宅街らしき道をこわごわと進むと、ありましたありました。隠れ家のような佇まいがステキな喫茶店。これは期待が高まります、、、高まりますよね?この状況。
店内の様子も悪くない。良さそうな器具に良さそうなマスター。もちろんコーヒーをオーダーします。たくさん歩いて足もだるい、美味しいコーヒーで疲れを癒したい私達でしたが、出てきたコーヒーを見て、しばし沈黙、、、明らかに油が浮いている、、、なんかちょっと色も薄い、、、ミルクを入れると粉が浮く、、、う、うーん、、、この時点でだいぶ諦めてはいましたが、頼んだもんは仕方ないので飲んでみます。

不味い、、、

なんというかもう、ある意味奇跡的な不味さです。神戸までの帰り道の話題の7割方がこのコーヒーの話で埋め尽くされるぐらいの不味さ。これ以上は語る言葉が見つからないので、この話はこれぐらいで、、、

で。
そうなると俄然おなかが空いてきます。あのコーヒーを飲んだ後では空腹感もひとしおです。商店街を歩いていると間もなくベトナム料理のお店が。ベトナム料理、、、当たりなら美味しいだろうけど、外れだとキツイ。でももう空腹感に耐えられない。外れたら外れたで、今日はそういう日だと諦めることにしてお店へ。

結果から言うと当たりでした!生春巻きも空芯菜の炒め物もチャーハンもフォーも大層おいしゅうございました。本日初めての美味しい飲食店。神様大仏さまありがとう。そして満腹になるほど食べて一人当たり1700円。神様大仏さま本当にありがとう。

と、そんな奈良での一日でございました。

、、、しかし実はこの日一番驚いたのは、角きりのインパクトでも、奇跡的に不味いコーヒーでもなかったのです。
行きしなに荷物を発送しに立ち寄ったコンビニで、送り状を見た店員さんが放った一言、

「岡山市って何県ですか?」

しばしの沈黙の後、力無く「岡山県です、、、」と答えるしかなかった私。そして言葉少なな店員さん。
思えばこの時点でこの日の波乱(?)は約束されていたといっても過言ではないでしょう。

2011年10月 2日 (日)

ブログはじめました。

ちょっと気が向いたので、ブログなどはじめてみました。
たいしたことは書きませんが、そして多分たいして更新もしませんが。